魔球といわれた潮崎哲也投手のシンカーの握り方と投げ方です。左投手が投げるカーブのような軌道を描く遅いシンカーと99年頃から投げ始めたという120㌔代の速いシンカーがあります。ここでは遅いシンカーについて研究します。
遅いシンカーの握り方
まず人差し指の小指側の腹側面を縫い目にかけ、そこから人差し指全体を縫い目に沿わせます。中指は縫い目にはかけませんが、こちらも小指側の腹側面でボールを固定するように、エッジを効かせるようにして握ります。中指と薬指の間を大きく開けて握りますが、バルカンチェンジのようにはさんで握るわけではありません。親指は添えるようにして特に位置は特定していないようです。
遅い握り方画像
遅いシンカーの投げ方
リリースの瞬間はボールを体の外側に向け、人差し指でボールを滑らせるようにして強いトップスピンを掛けて投げます。ボールは中指と薬指の間から抜けていくようにリリースされます。トップスピンだけを意識して投げますが、手首は固定したままで、投げる瞬間にひねったりはしません。自分の手をテニスのラケットに見たてて、ドライブショットを打つような感じでボールに回転を与えます。ボールがリリースされる瞬間、薬指が邪魔をしないようにしっかりと下げてやることが大事です。
狙いどころ
真ん中から内角低めに沈み込むようなイメージで投げます。右バッターの外角から真ん中に入ってくるようなバックドア系のコースはほとんど使いません。
球速
105㌔~110㌔
潮崎投手が言うようにほとんどカーブの球速と同じくらいです。
変化の軌道とバッターの反応
一度浮き上がって、そこから急速に沈み込んできます。西武ライオンズで同僚だった松沼雅之はパームボールのように揺れながら浮き上がりそこからフォークのように落ちてくると表現しています。
バッターは沈み込んでくるシンカーを追いかけるようにスウィングし空振りをするシーンがよく見られました。逆に高めに浮くと落ちてきたところを痛打されることもありました。
変化球誕生秘話
高校時代二番手投手だった潮崎投手。練習試合で相手のサイドスロー投手が投げるシンカーに味方打線が打ち取られていくのを見ていた監督が、潮崎投手にお前も投げてみろと言ったのがきっかけだったそうです。高校3年生の春に言われて、4月か5月にはすでに投げれていたのだそう。
ボールのイメージは左投手が投げるカーブのような軌道。それを投げるために、握り方もカーブと逆、リリースもカーブと逆という発想から潮崎投手の魔球シンカーは誕生しました。潮崎投手自身、このシンカーが人生を変えたと言います。
潮崎投手のシンカーの投げ方を教わりに来たサイドスローピッチャーは多かったそうですが、実際に投げれるようになった人は居なかったのだそうです。潮崎投手の柔らかい薬指がこの独特の変化球を生み出したといわれています。
上の動画でも紹介があったとおり、潮崎投手のシンカーはトップスピンとジャイロ回転の間のような軸を持って回転しています。変化球の研究で有名な姫野先生は、体より前でリリースされているのでこのような回転になるのだろうと解説しています。
参考動画